MBAを取得したエリートの転職地獄 その4: 拾う神また捨てる編

この記事の筆者
< 学歴・資格等 >
・ 早稲田大学政治経済学部経済学科卒
・ 米国一流校にてMBA取得(専攻 Finance, トップ10%)
・ 留学前、TOEFLで満点(スコア自体は失効しています)
・ CFA, Chartered Financial Analyst, CFA協会認定証券アナリスト
・ 日本証券アナリスト協会検定会員

< 職歴概要 >
・大手サービスで経営管理、経理(連結決算)、IR(Annual Report作成等)
・大手外資コンサルティングでM&Aのアドバイザリー(クロスボーダー含む)
・大手メーカーでM&Aの企画推進、経営管理
・大手ITで会計ソフト等の企画開発、海外製品のマニュアル翻訳、トップ通訳

本シリーズの前半では私がいかに虚栄心から投資銀行マンを志し、MBAまで取得して勝ち得た一回目の転職先 = 監査法人系財務コンサルティング会社ではある程度成功しましたが、段々と激務のストレスからノイローゼになって行ったお話を語りました。

本シリーズの前稿、その3では:
●憧れていた花形にみえる投資銀行業務も思っていたのと違い大変で、1年程度で内心実は嫌気が指していました。
●本場は証券会社という言い訳で、実はもう少しラクでは・・・と甘い期待を抱きつつ1.5流どころの銀行系証券子会社にあたふたと再度転職することになります。
●プロパーと中途で身分差別があり、肩書にコンプレックスを抱きさらにノイローゼが深まりました。
●ついには本当のアル中になり公園で階段から足を踏み外して骨折をするなどの憂き目に合い、産業医に精神疾患と診断されて長期欠勤を余儀なくされました。

この長期欠勤中に痛い脚をひきずりながらまたこっそり転職活動を行うことになります。もうその会社はイヤだから、ラクな事業法人へどこでもいいから入り、一生「おとなしく過ごそう」と自省しつつ・・・。

この稿ではその活動と4社目の様子をご紹介しますが、今回と最後の執筆で私が見掛けた「キャリア的に報われず、かといって転職も出来ず」と日が当たらずひたすらいじけていた人達についても少しご紹介したいと思います。

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拾われてまたいい気に

またさほど間を置かずに転職活動を始めた私ですが、どこでもいいからと数を打ってもほとんど書類審査で瞬時にはねられ、2~3ヵ月面接すら全くオファーがありませんでした。

理由としてはすでに30歳台前半で大分年だということもありますが、特に日本の企業は転職を繰り返す人を採ってもまたすぐ辞めてしまうではないかと嫌がる傾向があるためです。中でも私の場合は2社目も1年数ヵ月と出入りが激しいという業界特性はあるながら一般には短く、3社目に至っては1年にも満たっておりません。また、そう短期間で転職を繰り返す人間は個人的に何か問題があるのでは、と思われます(実際にありましたが)。

そんな失意の日々の中、たまたまある大手文房具・家具メーカーが伝統的な既存事業がIT化の中年々縮小傾向にある中、手元にある豊富なキャッシュを武器にM&Aで新規事業領域拡大を志していました。プロパーのある担当部長職が担当していましたが、やはりノウハウが無く、いちいちM&Aアドバイザーを起用するのは高額であるため、とにかく経験者が欲しいとリクルーターにハントを依頼しました。そこへ他にも候補者は無数にいるであろう中私がこれもたまたま最初に食いつき、面接でもその場は案外相性が良くすぐ採用に至りました。

しかも待遇は30台前半で課長の管理職で、固定年俸750万円という事業会社としては最高のものです。周りの同年代のプロパーはまだ係長レベルが多かったので、プロパーとの身分差を感じた2社目とは逆転現象となり、心の傷も癒され、鼻高々になります。これでまた躓くことになりますが・・・。

いい気になってまた捨てられ

こうして再度自身過剰になった私は、本社の経営企画室でM&Aの担当者且つ唯一の専門家としてしばらくはある程度活躍していました。

が、1年ほどしてあまりに幅を利かすので、上司の担当部長が私の高慢な態度を疎み始め、ついには正面から大喧嘩をし、会社側もプロパーの人間を大切にするため、クビにはしませんが結果M&A担当を外されます。

こうして、辛うじて専門知識がある分野から外されると逆にプロパーでなく業界には通じていないため何の活躍の場も無くなり、仕方ないからと単純事務のような仕事を与えられそれだけに明け暮れることになりました。こうなると、2社目と逆で却って経営企画室という部署でしかもポジションが変に高いと、プロパーでもなく仕事もしていないのに、と白い目で見られている気がします。

そのうちまたアル中状態になり、会社側・産業医にそれを指摘され(酔って会社に来てる)、長期欠勤を強要されます。クビにはせず仕事をしていなくても給料もある程度払うという日本の古い企業特有の温情は前社と同じで、またせっかく拾ってくれたこの会社もイヤになり、再度長期休暇を利用して4度目の転職活動に乗り出すことになります。

こうして、タイトルに転職地獄とある通り、ちょっとでもイヤになると何か新しいことに挑戦したいからというより今やっていることがイヤだからというネガティブな理由で転職を企てるという同じパターン・ループにはまってしまう羽目になりました。

次の先もかろうじて見つかるのですが、もう根本的にバーンアウトしているため運命付けられたように失敗し、結局最後脱サラ・企業社会からの完全脱落を余儀なくされます。これについては次の最終稿にて。


教訓

ちょっと嫌でもそこでしばらくは我慢する、という最低の根性はないとダメなら転職すればいい、という変な癖が付き、どこへ行ってもその甘えのせいで粘りがなく失敗し、特に日本では年を取るほど転職自体のチャンスもどんどん減っていきます。

また就業期間が短い・転職回数が多いと怪しまれ、いざという時の転職に不利になります。上記のように私が30台前半にして4社目に転職できたのは色々な偶然が重なった奇跡で、本当にたまたまなだけです。

付記: 転職したくても出来ない人達1

上記の経営企画室でのM&A担当部隊は3名で構成されており、責任者の喧嘩した担当部長と課長職の私、係長(超勤の付く非管理職)の部下一人、というものでした。

この係長の方が私より5つほど上で当時すでに40歳に差し掛かっており白髪も見えて来ていました。同社にプロパーで入り、営業子会社で生粋の営業マンとして長年案外活躍していたのですが、上司(同子会社社長)と喧嘩して居場所がなくなり、同期の経営企画部長が拾ってくれて私と同時期に異動となりました。

個人的には気のいい方で仲が良かったのですが、同期が部長だったり中途が課長で職制上は上司だったり、同じ部の他のチームでかつての部下の年下が課長だったり、一方自分は20年近くも務めて係長待遇だったりと、同社に対して激しい恨みを抱いておりました。

一方で、いわゆるMBA式の「経営戦略」やら「M&A」に変な憧れがあり、その部署もいいかなと思って誘いを受けたのですが、営業一本で来たためスタッフとしての能力・・・書類作成能力・・・が皆無で、全然活躍出来ず勝手にバカにされていると感じ(別に誰もバカにはしていないのですが)、かといってそのような能力を磨こうともせず、ふてて一日中同僚の前でろくに仕事もせずに会社の文句を言い、いつか辞めてやる! と広言していました。初めは大目に見ていた同僚たちもそんなにイヤなら辞めれば、と見捨てるようになりました。

私と仲良く転職経験が豊富なのも聞いたため、見返すために転職したい(「戦略スタッフ」か「コンサルタント」系で、しかも年齢的に役付き入社で)、とのことでこれまでお世話になったリクルーターを数社紹介しました。

営業職というのは数字・バジェットを担いで走り仕事を狩って来るハンターで、私個人はサラリーマンの中で一番エライと思うのですが、どうも日本の労働市場では「知的でない」と見なされ営業キャリアは全般に価値が低いようです。まして40歳を超えており営業キャリア以外ろくな学歴も資格もなく、そういう方面の志向だと無理だと分かっているのでリクルーターですら時間の無駄、と相手にしてくれません。

そのうち、陰で転職活動を少ししたのが会社にばれていてクビになるのでは、という変な疑心暗鬼でノイローゼになり産業医の診断でついに長期欠勤扱いになりました。休みに入ってからお会いすることは結局無かったのですが、風聞ではその後純事務部門に異動になり、少しは黒かった頭も全部白髪になって50台後半ぐらいの風貌になり、ちょっとした営業経験以外何も持っていないため転職も独立も出来ず、恨み節を言いながらろくに仕事もせず定年退職を待っているそうです。まだ当時40ちょいだったため、20年強もそうして過ごすのは当人が一番つらいでしょうが、多分そうなることでしょう。牢屋で刑期を過ごすようなものです。同情はしますが、これも資格を取ろう等奮起するなど当人の問題で、私なり他人がどうにも出来るものではありません・・・。

筆者のプロフィール
ナッシュ(仮名) 40歳台前半 / 男性

[学歴]

・早稲田大学政治経済学部経済学科卒
・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 MBA(全米トップ50傑以内)
専攻: ファイナンス, トップ10%で卒業

[職歴]

・経理・IR畑を経て、投資銀行業務(M&Aアドバイザー)や財務系SEを経験
EQが低く人間関係が下手であまり大成しませんでしたが、数字いじりだけは得意でした。
・40歳にてフリーランスの産業翻訳家として独立
言語は英語・タイ語、主要対象分野は財務・法務系(アニュアルレポート・契約書等)
翻訳家になりたかった、というより通勤電車がイヤで無理に脱サラした感があります。

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